モリタ会長ブログ
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2月に入って、すぐに出張で東京へ、翌週も東京へ、戻ってくると新年会、総会等行事だらけ、どこでも挨拶では"新型コロナウイルス感染症 covid-19"の話、数日後3月の東京での会議全て中止、地元での行事、会社の行事も延期又は中止、しまいには小・中・高校と休校、3月15日が今後の判断をする一つの区切りと聞いてはいるが、どうなることだろう。
そのあとの方が心配になってくる。今朝の新聞の記事で、物理学者の寺田寅彦さんの物事の本質を語る文章が一部記載されていました。( [ ] の文章です。)
[ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりすることはやさしい] [正しく恐れる] そのような判断をしなくてはいけないはずなのに、今は人々の不安、社会の混乱を招く方にいってやしないか?
考えさせられます、自分はどうなのか。
2020年1月の出張先で先輩経営者達との昼食中、私が質問したことから始まったことで出た言葉が、「こんなはずじゃなかった。」その場で次から次へと伝染したように皆が「こんなはずじゃなかった。」と言われたことを話すものだから笑いが絶えませんでした。ある一人の先輩経営者に質問した内容が、奥様との馴れ初めは?でした。学生時代に出会ったことから始まり、お付き合いしたきっかけ、結婚して家庭を持ち現在に至る、よくある話かもしれませんが、ある時 奥さんが「こんなはずじゃなかった。」と旦那である先輩経営者に言ったそうです。その言葉で先輩経営者は、怒らないで聞いたそうです。「何がこんなはずじゃなかったのか?」待ってましたとばかり、次から次に出る言葉、話終わってほっとしたのか、今度は先輩経営者も負けじと「俺もこんなはずじゃなかった。」奥様はその場からすぐにいなくなった、という話です。他の先輩経営者も同じような体験をしたという話が次から次へと、家に帰り妻にその話をした途端に出た言葉、ここに記載しなくてよいでしょう。最後に言った言葉が「皆さん御夫婦仲が良いんだ。」その通りです。
昨日で会社の今年の業務は終了しました。例年より早く終了したせいか、何だか年末という気がしません。年が明けたら毎年行われる挨拶回り、1年間を振り返っての報告会、新年会、方針発表会とあるのですが、自分自身今年1年で何かやり続けたことがるか? 以前ブログでも紹介した毎日の目標20項目決めて〇・✖1年間つけたことがあるのですが、今年はありました。友人から言われて、2月からですが12月まで続けたことが、週1でDVDを観ること、しかもDVDは指定されました。
それが、『映像でつづる20世紀世界の記録』全12巻と『映像100年史日本の記録』全33巻 45×7で315日間ですが、どうしても1週間無理というときは1週間で2本観るということをして12月上旬で終えました。本を読むのと違って映像で観るとよりリアルで色々と考えさせられました。自分なりにこれからどうしなくてはのヒントを得たような気がします。紹介してくれた友人に感謝しています。10年後の会社のビジョンを7年前につくったのですが、今度は自分の10年後どうなっていたらと思うと来年は、・・・と色々なことができそうです。・・・は来年のブログ用にとっておこうと思っています。
今年1年間私のブログにつきあって下さり、ありがとうございました。お体にご留意して良い年をお迎えください。
昨年還暦を迎え、厄払いも含め60歳のうちに行こうと決めていた所がありました。今年の5月連休に計画を立てガイドブックも購入してホテルを予約、交通手段も決め準備万端だったのですが、やむを得ない事情で急遽中止になり地元の神社で厄払いを済ませました。
しかし、突然チャンスが訪れました。私の業界の友人の一人が業界を去るということで功労を讃え、慰労会をすることになりました。その場所は伊勢市だったのですが、実は5月に私が行こうと決めていたのは伊勢神宮でした。全員で8名集まることになったので皆ゴルフをすることになったのですが、私だけゴルフをしないということで一人で伊勢神宮に行くことにしました。
それがなんと天皇陛下が伊勢市に来る日と同じ日になりびっくり、友人からアドバイスを受け、天皇陛下はお昼すぎに伊勢神宮に到着予定だからその前に行ったほうがいいよと言われ、午前10時前に伊勢神宮内宮に行くと馬に乗った警察官と護衛の警察官の団体と遭遇、警備の予行練習なのだろうか、物々しい中見学を終えお昼すぎにおはらい町、おかげ横丁を見学、移動して外宮を見学、夕方に皆に合流して食事をしました。今回は、自分のことではなく一番下の娘が受験を控えているので、学業のお守りを購入するのを目的として行き、それが達成できたのでとても満足できました。
慰労会も盛り上がり、自分だけちゃっかり伊勢神宮参拝をしてきたのですが皆気遣ってくれました。特に業界を去る友人は「行ける時にいっとかないと、よく伊勢に来てくれたね、ありがとう。」と言ってくれました。
彼は、来年富山に来ると言ってくれたので、私は楽しみに待っています。チャンスをくれてありがとう、本当に行って良かった。
60歳の還暦もあっという間に過ぎ、赤いちゃんちゃんこを身に付け写真を撮ったときは、まだ自分の歳を実感していなかった。つい最近、ある場所で写真を撮り写っている自分を見たときに"えっ"、これが自分?
確かに台風19号の影響で北陸新幹線が全面開通とはいかず米原経由で東京まで行き、日帰りで戻ってきた次の日に撮った写真で疲れてはいたが歳相応の顔だった。普段はしたことのないピースしてください、と言われ若者と撮ったからなおさらだったかもしれないが、少なからずその場では浮いているように見えた。
鏡ではなく写真で今の自分の顔を見て歳を感じた、これが61歳の顔なんだ。
今度写真を撮るときは、ピースはせずに満面の笑顔で写真を撮ってみよう、幾つに見えるかな・・・
変わらないよ、という声は聞こえないふりをしようとする、少しでも抵抗しようとしている自分がいる。
写真は嘘をつかないよ。
最近ようやく朝夕涼しくなってきて秋の到来を感じています。
友人に何気なく勧められたのが音楽入門というイベントでした。時間がちょうど空いていたので当日券を購入し行きました。バロック音楽についての説明だったのですが、ピアノの弾き語りと軽妙な説明であっという間に時間が過ぎました。バッハは和音のみでつくるのが得意、ヘンデルはオペラの喜怒哀楽部分が得意、ビバルディの音楽は四季が有名だが当時は斬新な音楽として捉えられていた。等々という説明がありました。
イベント後、その週の土曜日クラシックコンサートがあるから行かないと誘われ、すぐ行くと返事、当日の演奏曲のラフマニノフ交響曲第2番 第3楽章のCDを事前に購入し聴いてから本番に臨み、やや興奮気味で終わると、来月も音楽イベント参加を決めチケット購入、朝目覚めたらクラシック音楽を聴くという具合で、いつまで続くのやらと自分自身でもハマっていることにびっくりしています。
天候不順だった令和元年8月が終わろうとしています。
何故だか今月は周年記念に関わることが多い月でした。
8月17日、開店から30年間通い続けてきたお店の30周年記念式(食事会)にて最初の挨拶をさせていただいたのですが、言いたいことが参加者に伝わったようでとても嬉しく、食事会が大いに盛り上がりました。お店のオーナーが私に言った言葉を挨拶の中で紹介したのですが、「森田さん、私はあなたの将来のことを想って言います。だからこそ、これを身につけて欲しい。」と言われ、身につけました。あの言葉があったから今の自分がここに居るのです。今日ご参加の皆様も一人ひとりの人生とお店が共に歩んできた結果、お店が続いてきたのだと思います。私だけなく皆さんにとってなくてはならないお店ではないでしょうか。・・・(抽象的な文面ですがあしからず。)
8月22日は、ある大学教授を中心とした勉強会の20期目となり、来年20周年記念式典開催の副実行委員長に選ばれるという機会を得ました。
8月26日には、業界を盛り上げてきたヘアケアマイスター協会10周年記念式典に参加、全国に3000名以上のヘアケアマイスターが誕生し活躍していることを確認しあうことができました、もちろん地元にもいらっしゃいます。
翌日8月27日、第20回表参道コレクションを見学しました。過去に社員は何人か見てきていますが、私は初めてだったので期待しながら会場に入ると満員、実行委員長の挨拶のあと、区長の挨拶の言葉で、「渋谷区がオシャレ、ファッションの発信地として、日本だけでなく世界から注目されているのも今日参加されているヘアサロンの皆様のおかげです。」と言われたのが印象的でした、まさに地域社会貢献しているイベントなんだと感心しました。
8月29日には、以前から話は聞いていたのですが、富山県中小企業家同友会40周年記念誌作成の委員に選ばれたのでよろしくお願いしますと、電話がありました。
とまぁ、こんなわけで今月は周年事業に関わることが多い月でした。弊社も来年周年事業、会議で案が出ていたような・・・
ここ2週間あまりで、何人から言われただろう。クーラーが原因で夏風邪をひいたせいだと思うのですが、人と会う度、また携帯電話で話す度「声が変?、違う人と話しているみたい。」と言われました。中には冗談半分で、「近くに来て、風邪うつさないで。」と言われたこともありました。熱が出たりして特に体調が悪いわけではなく、クーラーが効いている部屋に入ると、鼻水が出たり喉が少し痛いという症状が続いていました。元々クーラーが苦手で部屋に一人で居るときには扇風機で充分です。(汗をかいてはいるのですが。)
病院にも行かず、飲み薬も2日目ぐらいでやめほっておいたのですが、症状は変わらず、夏風邪が長引くことを初めて味わいました。歳のせいかなとも思ったのですが、周りにも同じような人がいて、やはり夏風邪には注意が必要を感じました。今はすっかり声も元に戻り大丈夫なのですが、あまりにもたくさんの方々から言われたので、よっぽど声が変だったのかなぁ? 自分の声の変わりようが後から気になりました。そのうち面白半分で言われるかも「あの時の声の方が良かったのに。」
私だったら言うかもしれない、自分のことではなく他人のことなので、心配するほどのことでもないからそう言うと思う。もしも今度人から「本当に大丈夫ですか?」と言われたら、すぐに病院へ行こう!
小さい頃、母親からよく言われた言葉が、「一口食べてから、好きか嫌いを決めなさい、食べる前から嫌と言ったら駄目でしょう。」でした。また、経営者になったばかりのときでした。先輩経営者から、「ごたごた言う前に、やってから言わんかい。」と強烈な言葉を投げかけられました。似たような事だと思うのですが、今月ある体験をしました。一生に一度のことですが還暦を迎え儀式というか慣例というのか、赤いちゃんちゃんこを着るという個人的には絶対やりたくなかった事ですが、その場の雰囲気で思わず着てみました。同時に七福神の大黒天が被っている赤い帽子も被りました。写真を撮ってもらい後から見ると、満更でもない自分がそこに写っていました。写真はそこで撮ったカメラの画像を見ただけでデーターもまだ手元には届いていませんが、楽しみにしている自分に驚いています。その場で突然だったのでサプライズという仕掛けに見事に引っ掛かったわけですが、怒りというより感謝の気持ちでいっぱいです。食べてみて本当に美味しかったことは人に伝わる、やってもいないことは人には伝わらない、伝えることは難しいが伝えることの必要性もわかるので、今後この体験を活かしていこうと思いました。
5月に入って、業界団体や異業種の総会に何度も出ていますが、挨拶で出てくる言葉が「令和になり最初の・・・。」ばかりです。
今日もアメリカのトランプ大統領が「令和になり最初の国賓で来日しました。」と報道されていました。また、大相撲夏場所の優勝者、地元(富山市)出身の朝乃山、「令和になり最初の優勝者です。」とアナウンサーが叫んでいました。
今だから使える言葉「令和になり最初の・・・。」便利な言葉です。私も多用させていただいています。
「令和になり最初の・・・。」
そういえば、「平成で最後の・・・。」も使っていました。
本日をもって、元号が「平成」が終わり「令和」が明日からスタートします。それに伴い、天皇陛下の退位の儀式が執り行われます。新天皇が5月1日に即位されるわけですが、後継者としてどう振舞われていくのか世間の注目の的になっているかと思います。
思えば、私も父から社長として社業を受継いで早いものでもう21年目に入っています。当時美容業界は成長期でしたが、しかし弊社は伸び悩んでいました。「だからこそ今だという気持ちでバトンを渡す、世の中がどんどん変わっていく、業界も変わっていくそれについていくには、知力・気力・体力が衰えてきた、おまえに任せる。」と父から言われ、どうしたら良いのかと不安になりすぐ先輩経営者に相談に行ったことも覚えています。その時の一言「経営理念をつくりなさい。」
父は今後のことを考え危機感を持ち、私はどうしたらよいのかで不安感を持ちながらのスタートでした。社員は敏感です、徐々に退社する社員がでてきました。父は会長になったのですが、そうなることがわかっていたのか採用活動に力を入れるよう指示してくれました。おかげで採用活動は今も続いています。結果として社員の若返りが会社の雰囲気を大きく変えることになりました。(良い面だけではないと思いますが。)
現在後継者がいなくて、やめざるを得ない会社やお店が増えてきていることも肌身で感じます。いつかは後継者にということで事業承継セミナーにも参加し、10年ビジョン発表で社長交代を宣言してあっという間に数年が経ちました。次はどうなることやら、他人事では済まされない重大な仕事が待っています。後継者を決め、しばらくは並走しながら徐々に後退して、同時に新たな事業をやっていく・・・など次のことも考えておくようにと、ありがたいアドバイスも先輩経営者(会長連中)からもらいました。父や先輩からの言葉で気づいたことですが、お互い生きている間ずっと続く関係が後継者づくりにも影響するような気がしてきました。
後2時間あまりで新元号の発表があります。
その前にブログを更新しなくてはと2,3日前から思っていたのですが、明日の4月2日に入社する新入社員の合同入社式&新人研修が28、29日にあって参加、30日には来年度採用に向けての面接と何かと慌ただしく時間だけが過ぎていき、久しぶりの家族サービス、延期していた父の誕生会、と落ち着いたところでブログ更新、特に毎年社員を採用していると社員がどんどん若返っていき、来年も採用となると自分が益々年齢を重ねうわぁー いつの間にか時代も会社も変わるのだなぁを実感して少し複雑な気分。父も昨年免許を返納し会社に行く時は妻が連れて行く、それも午後からで月に1回あれば良い方で今年に入ってからは1回も行っていないのでは?恐らく弊社の若い社員は顔も知らないかもしれません。時間だけは待ってくれません。明日弊社の入社式があるのですが、新聞にこのような記事が出ていました。「らしさ」を認めてくれた企業こそ、生き生きと働ける場所である。社会人になった後も努力が必要なのは言うまでもない。継続が難しいが、やり遂げた人たちがよく口にする言葉がある。引退したイチロー選手がそうだった。「後悔などあろうはずがない。」そう言えるように、最後まで働き続けられる場所を見つけてほしい。
あす入社式を迎える社員だけでなく、今弊社で働いている社員にも伝えたい言葉である。
自分自身に問いかけてみる。平成という時代、「採用に関して後悔なし!」を明日は伝えたい。