モリタ会長ブログ
モリタ会長ブログ
10年前の震災が起こった時、私は飛行機の中でした。富山空港に着いてニュースで震災のことを知ってびっくり、先ほどまで業界の仲間達と東京にいたのでどうしたものか、すぐに携帯はつながらず安否を気にしつつ、連絡を待っていました。皆の無事を確認したものの、被災地が大変なことになっている、翌日の朝に所属している経済団体の事務局から新潟経由ルートを確保したから物資を持ってきてくださいと依頼があり、社員と相談し会社に保管してあった物をすぐに持って行きました。皆で物資をトラックに詰め込み見送りました。毎日気になる震災のニュース、できるだけのことをしようと社内でも寄付を募ったりしました。しばらくして物資を送ったところの方、福島の方が数名で富山にお見えになりました。お話を聞いて居ても立っても居られない状態になり仲間でバスをチャーターして現場を見に行きました。
南相馬市で聞いたクリーニング店を経営されている女性社長の言葉です。「普通であることがどれだけ大事であるか、皆さんは富山からお見えになり災害の少ないところとお聞きしています、私たちが今生活しているところを見て同情はいりません、皆さんの住んでいるところで同じようなことが起こるやもしれません、準備だけはしておいてください。」 この言葉を聞いた後、誰も何も言えませんでした。あまりにも強烈で、胸が熱くなりました。10年経った今でも忘れることができない言葉です。
昨年末から年明けにかけてとてもブログを書こうという気になれず日々が過ぎて行きました。ようやく落ち着いてきたのですが、改めてこれまでの人生を振り返る機会を得ることができ、自分は何をしてきたのか? どうしてこの仕事を選び、何のために今の仕事を続けてきたのか? これまでの道程を踏まえてこれからどうするのか? 自問自答の日々が続きました。答えがはっきり出たわけではないのですが、コロナ禍であまり動けない中、年末年始の挨拶とは関係なくかなりの人数の方と短期間でお会いし、周囲の方々から叱咤激励を賜り、少しずつですがこんなことやってみたいと頼まれごとがつながってきて、感謝の気持ちが行動に変わる気がしています。
今は漠然としたこと(「社会的課題」と向き合うことで、自社ビジネスがこんな風になる。)しか書けませんが、今年中にはそれを具体的に文字にするだけでなく、実際に取組んでいく過程が見える、を目標にします。
話題の映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』ではなく、上映期間が1週間だけということで「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を急いで観に行きました。何故かというと、周りの人達が「鬼滅の刃」の話ばかりで、何か他に映画やっていないのかな?と探していたら見つけたのがこの映画で、高校生時代にザ・バンドのアルバム「Rock of Ages」を購入し、気にいっていたことを覚えていたから、何故「ザ・バンド」という名前をつけたのか?昔友達から聞いたような気がしていたけどそのことは覚えていなくて映画を観てよくわかりました。曖昧だったことがはっきりしただけでもよかったけれど、それ以上にバンドメンバーの絆を感じたのが印象に残りました。メンバーが薬物に溺れバンドとしての活動ができないだけでなく不信感によるすれ違いで憎しみが生まれる、大変なことを得て行く過程、これほどバンドらしいバンドはないと周りからはみられているが、色々あった、それを糧にメンバーそれぞれが今こうなっているを音楽と共にを感じました。
人生は縁ある人との出会いでこうなるを感じ、翌日 宇都宮市にある BEAUTY ATELIER グループの「én doors」さんという美容室を訪問してきました。何故、「én doors」という名前をつけたのか? 縁を結ぶ扉を開く場所にしたいから、と言われました。そこでは人と人をつなぐためのスペース、色々なブースが設けられ‟美"と‟人"を縁でつなぐを提供しているお店、美容サロン、エステ、ヘッドスパはもちろん、地元作家やアーティストの作品購入、オリジナル雑貨の販売、健康的な軽食メニューを楽しめ、ミーティングルーム、コワーキングスペース、キッチン、シェアオフィス 等様々なワーキングスタイルに合わせた場所の提供等をされて、縁でつなぐを実践されていました。まtおもてなしが素晴らしかったを付け加えておきます。
2月13日に東京に行った後、10月30日まで一度も東京に行くことがありませんでした。新型コロナウイルス感染症が収束したとは言い切れない中ですが、これ以上Zoom等での会議はどうなんだろうということで東京での会議に参加しました。人数は限られた中でウイルス対策も行ったうえでの開催でした。決めなくてはいけない案件も顔を突き合わせて話合いをするとスムーズに決まっていくではありませんか。情報交換もしっかりでき、人と人が会うことの大切さを感じることが出来ました。今回の会議室使用はこれで最後になりますが、次に来年開催するときは事務所の移転が終わっているのでなんだか少々寂しい気もしました。もっと寂しい思いをしたことが会議前にありました。私が初めて社会人になって勤めた会社、当時は社長その後会長になられた方が今月17日にお亡くなりになったことを聞いた後、近親者だけで葬儀を執り行われ、あらためて「お別れの会」を執り行うという案内が届いたのですが、会議参加の皆関係しているので会社にご焼香を挙げに行こうということになって行きました。私が幼いころに営業担当として来てくれていたことから始まり、業界の一員としての今があるとしたら、数えればきりがないくらいお世話になった方です。遺影写真を見たとき、ぐっとくるものがあり、会社の方々からこれまでの経緯を聞いたのですが、しばらく言葉が出ませんでした。会社を出てようやく息をついたというか平常になっていくのを感じました。その後、移動して会議が終わったらNEXs Tokyoというコミュニティを見学してきました。一言でいうと、そこでは新しいコミュニティの形を感じることができました。こういうつながり有りだな、でしょうか。ただし、このコミュニティですが、そこに入っている企業の紹介がないと見学できないので見学したい場合はコミュニティ内の企業にアポイントをとってから行ってください。久しぶりの出張でしたが色々あって少々疲れたというか、最後に東京駅を観て帰路につきました。
菅義偉新総理による新政権が誕生しました。これからどうなるだろうかと思っていた矢先、中小企業庁より今までも何回も送られてくる調査依頼がきました。それがなんと、インターネットのみでしか回答ができない調査依頼でした。紙に記入しての返答じゃないんだ!の驚きが最初で、看板政策の一つであるデジタル庁創設と関係あるのかな?などと勝手に思い込んでみたり、変な調査ではありませんということでのハガキでの依頼、返信はインターネットだと集計しやすいのだろうとも思ったり、これまでは紙に記入して返信用の封筒に入れて少し面倒だと思いながらも送り返していたのがすぐに返信できる時間をとらせない、改善されたんだと思いました。よく他からもアンケート調査依頼があるのですが、メールで送られてきてメールで返信、確かに時間短縮で良いのですが、どこか怪しいと思うメールでの調査、あるいは大事なことのように感じないメールでの調査には返信しないことにしています。でもハガキでの調査依頼は丁寧さを感じました。うまくデジタルとアナログを使い分ける、政府の新しいやり方? こんな使い分け方がこれからのビジネスにも必要なのでは、を教えてもらったような気がします。
友人と女性の社会進出の話から、各国の女性リーダーの話になった時のことでした。
その友人が、「ゴルダ・メイヤ、イスラエル5代目首相」が良いなと言うではありませんか。「ひょっとして名言残していない。」と私が言うと、彼は「そうなんだよ、たくさん残しているよ。」と続けざまに言いました。そこで私が聞いたことのあった名言が、『美しくないことは、まさしく天からいただいたお恵みです。わたくしは美しくはないから自分の能力を高めるしかなったの。美人は困難を乗り越えるのに不利な条件ね。』です。
外見ではなく人間的な魅力を磨くことが美の追求ではないかを感じる言葉だと、その時思ったのですがどうでしょうか。言葉一つから様々な捉え方ができかると思います。
他にも彼女の名言がたくさんあるので、関心のある方は是非調べてみてください。
今月も自ら進んで行動や態度を慎む、自粛が求めれていました。だからといって何もしないわけにもいかず何をしていたんだろうと考えてみました。7月9日、10日と東京出張の予定があったのですが、6月の時点で会合が中止ということでキャンセル、翌週の17日も東京に出張予定だったのが2日前にキャンセル、オンライン会議参加となりました。毎週オンライン会議が入っていますが、県外だけでなく県内でもよくもまあ今ままであっちこっちに行っていたのだと妙に感心というか納得しました。それでは何をしていたのか、今までより家にいる時間は多かったけど、それこそ自粛していた気がします。お酒もあまり飲まず、ヨガマットを購入して自宅でテレビでやっていた運動は少しやったかな、読書はそこそこ、DVDで映画は何本か観たかな、コンサートには全く行けなかったので、もっぱら音楽は聴くだけだったのですが、幸いにも家での食事を家族と共にして皆で話す時間をたくさん持てたことで、子供たちの将来に関する話ができたことがとても良かったと思っています。これまで自粛という文字が自分の中ではなかったくらい身勝手だったことで知らなかったことに気づかされ、親としての在り方を考えされられました。自粛に感謝!
新型コロナウイルス感染拡大が完全には収まりそうもないのですが、自粛も緩やかになってきたところで新社長と顧客訪問をして新任の挨拶回りを始めました。色々なご意見も聞かせていただいたりして私も新社長もよい学びを得ています。新社長に対する期待の大きさも感じ、それに応えようとしている新社長の姿が見ていて新鮮で気持ちが良いです。
そんな最中、ある方が会長の仕事の原理原則が記載されている文章を持ってきてくれました。最初に、次の経営者を育て、企業の永続基盤をつくることが会長の仕事、から始まり最後に会長引退(権限移譲)が書いてありました。
挨拶回りをしている最中ですが文章に書いてること意識しながら回ることで、今の自分にとって「これからどうしたらよいのだろうか?」と少なからず疑問を持っていたことが、解消されつつある気がしています。
特に気に入っている文面を記載します。"経営環境が大きく変化したり、厳しい時が任せるチャンスです。"(環境が良い時に任せると延長線の経営になりがちで、長い目で見ると会社も経営者も成長しにくい。)今回挨拶回りをしていて皆さん「大変な時に社長になって!」と言われますが、本人は「忘れることができない年度に就任出来て良かった。」と言葉を返しています。今後が楽しみです。
5月も終わりに近づくにつれて、新型コロナウイルス感染の「緊急事態宣言」の全面解除が安倍総理の会見でありました。第二波が来るかもしれないので油断はできませんが、生活スタイルに変化があったことは確かです。
今回のことで、私もそうなのですが何かと「心配」することがあった気がします。自身、家族、友人、社員、会社、お客様、地域 等々 逆に、「心配」されることも多々ありました。自分が「心配」しているときは「安心」するとそれで終わりなのですが、「心配」されるということは、相手に「心配」をかけている、それをなくすには「安心」、「安心」してもらえるまで「心配」が続くとしたら、自分自身が「不安」になってきませんか。私の場合、「心配」されていることを感じると「不安」になることが多くありました。どうしようかと、うろたえる焦る、いらないところに力が入り空回り、なんとかその場をしのぐが、その後どっと疲れることが続きました。考え方が変わるとモノの見方も変わると言われたことがありますが、ある時「心配」されているを「応援」されていると考えたとき、急に肩の力も抜け元気になってきました。期待に応えようと無理するとまた力むのですが、「応援」してくれる人の顔を思い浮かべると「心配」してくれている人の顔との違いがはっきりしてきて頑張れる気がします。「応援」してくれる人は『君ならできる!』とそんな表情を想像します。今では「心配」している、それ以上に「応援」していると伝えようと心がけています。
GWも始まり新型コロナウイルス感染拡大収束が見えない中、自粛しながらどう過ごすか問われてると思いますが、私事ですが毎月会社だけでなく家族にも行動計画を提出していて、今月は休日のところの行動が空白なのが目立っていました。毎月休日に空白の日があると何をしようかと自分で勝手に決め、後から家族に聞いて確認をとって行動するのがルーティンのようになっていました。今月も同様に自分で決めたことがありました。家族に確認するため、家族が会話している最中途中で割って入って尋ねると「今その話しになる前の状況から話しているので最後まで話終わってからにして、せっかちなんだから、自分で決めたこと忘れているの?」と言われ一瞬かっとなるも、自分で決めたこと忘れていると伝わってしまったのは、その場の状況をよく見もしないで話に入っていこうとしたことからだと気づかされましたが、冷静になるまでには少し時間を要しました。
周りを巻き込むことも時と場合を考えて、自分勝手に決めるのではなく、家族のやりたいことももう少し聞く 等々 これから気をつけます。
事業承継の話を以前記載しましたが、弊社も社長交代ということで社長としてのブログ最後になります。次はどうなるかということなのですが、正式に決まったわけではないのですが、どうも会長になってもブログを掲載しなくてはいけないようです。新社長のブログもあるとか? 社内的には既に新社長として様々な動きが出てきていますが、対外的には4月よりお客様の挨拶回りが始まります。私が21年前に社長に就任したときは、私が就任したとき「この指とまれ。」と言ったら社員皆様子見でした。しかし、新社長が「この指とまれ。」と言ったら、社員皆がとまりました。私の時とは随分違うを感じた瞬間でした。社員のとった行動で何が違うのか、私が社長に就任したときは周りが不安でしょうがない状態、新社長に対しては期待が不安を上回っている状態、そんな違いを感じました。世間では今日も新型コロナウイルス感染の拡大で安倍首相が記者会見、国民は益々不安が募るのか、不安を上回る期待が高まるのか、このブログを書きながら首相会見を聞いています。
2月に入って、すぐに出張で東京へ、翌週も東京へ、戻ってくると新年会、総会等行事だらけ、どこでも挨拶では"新型コロナウイルス感染症 covid-19"の話、数日後3月の東京での会議全て中止、地元での行事、会社の行事も延期又は中止、しまいには小・中・高校と休校、3月15日が今後の判断をする一つの区切りと聞いてはいるが、どうなることだろう。
そのあとの方が心配になってくる。今朝の新聞の記事で、物理学者の寺田寅彦さんの物事の本質を語る文章が一部記載されていました。( [ ] の文章です。)
[ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりすることはやさしい] [正しく恐れる] そのような判断をしなくてはいけないはずなのに、今は人々の不安、社会の混乱を招く方にいってやしないか?
考えさせられます、自分はどうなのか。